修羅場だらけの人生?ブログ

定職も持たず根無し草のように生きる両親の元に生まれ13歳で自殺を考え始め、16歳からストーカーされ、流れに逆らえず結婚。そして修羅場だらけの人生は本格化した・・・

そして、同居人となる。

 私のパートナー(籠の鳥の飼い主)には、当然夫人がいました。
2~3度夫人を見かけたことがあります。
黒系の服を着た 大人の綺麗な女性でした。
 
 「籠の鳥」生活を始めた頃は私も職業を持っていました。彼も仕事を続ける事に
賛成でした。遊んで生活を送り、彼を待つだけの日常は退屈すぎます。
  
 まもなく 私の存在は夫人の知るところとなりました。
いくら夫婦生活は既に 破綻し寝室を別にして、事業のパートナーと化していても
ほぼ毎日のように、妾宅に泊り朝帰りを繰り返す自分の夫の変化に 気がつかない
程、女の感は鈍くないものでしょう。
 私の名前、年齢、住所、勤め先まですっかりバレてしまったのです。
私は夫人に対して、嫉妬心も負い目も感じてはいませんでした。
けれど、すべてが知れた時 恐怖心を持ちました。
 夫人が私の家を訪れ、激怒して怒鳴り散らすのではないか という恐怖心でした。
 
けれども 何事もおこりませんでした。
夫人は黙認したようでした。賢い女性だったのかも、寛容な人だったのかもしれません。
しかし、気分が良い出来事ではなかったでしょう。
 私たちは、密かに そしてその割に大胆に 地元で食事やショッピングしたり、 旅にでたりして暮らしをつづけました。


 そんな暮らしが続いたある日、もう八年程前になるでしょうか・・・
夫人が癌の宣告をうけ、闘病の果て亡くなりました。
悲しく辛い出来事でした。夫人に悪感情をもっていなかった私は、ただただ 申し訳
ない と思いました。亡くなるその瞬間まで、私を恨んでいたのではないかと思うからです。
 
 その後一人身となってしまった彼は、娘の家々を転々とした挙句 
本宅を空き家にして、私のマンションに入り込み「同居人」となりました。
その後、職場の人間関係に嫌気がさしていた私は 仕事を辞め家に入りました。
 私たちは、ふつうの夫婦のように たまに ささやかな諍いを繰り返したりしながら
総じて仲良く暮らしています。
 ただ、私たちは同等になることはできません。
あくまで、彼は金銭で私を養い、私は飼われているペットの鳥なのです。


 「生き別れ」は悪い思い出が増してゆき、「死別」は良い思い出が増すようです。
同居人は携帯の待ち受けに、亡くなる数日前の夫人の写真を貼り 戒名を書いた紙を大事に持ち歩いています。
老いてきたせいか、「おかあちゃんが・・」という発言が多くなってきています。
 仕方ないな と思います。
亡くなってしまった人とは、競えませんから。


 私には、この生活が合っているようです。
籠の扉をあけ放たれたとしたら、私は生きる糧を探すすべさえ解らず途方にくれて
しまうかもしれません。