修羅場だらけの人生?ブログ

定職も持たず根無し草のように生きる両親の元に生まれ13歳で自殺を考え始め、16歳からストーカーされ、流れに逆らえず結婚。そして修羅場だらけの人生は本格化した・・・

コンプレックスと母

 相変わらず 「食べては寝る・寝ては食べる」の自堕落な生活が続いています。
こうまで、空腹感が満たされないのは 身体の問題ではなく、心が満たされないためでは と考えて来ます。
 テンションは高め推移していますし、行動的です。全く謎です。


 久しぶりに、妹に電話しました。
妹は、母の介護でイライラして不機嫌でした。父の亡き後 田舎の借家に一人で置いておくことも出来ず、妹が母を引き取り同居を始めてから結構な年月が経ちます。
 妹が 母を面倒見ることは、姉妹の間では 暗黙の了解でした。条件が揃っていた というべきか、私は母が大嫌いで一日とて 一緒に暮らすことができないからです。
 では 妹が母を好きかといえば、実は大嫌いだということを 同居を始めてから知りました。妹が要領良く 母を利用していたことで 仲が良いと、 私が勝手に思い込んでいたようです。私は、母に甘えた記憶がありません。高校までは 出してもらいましたが、家が貧しいので 食費・寮費・学費すべて免除の学校に進みました。


 妹は 学費・住居費全て親負担の美術系の学校に進み、アパレル関係の仕事に一時ついて結婚・ 三人の子供を産み 早々離婚、養育費と母の援助を受けながら子育てし、その後は適当に数時間のパート勤務をして暮らす、自称「プー生活」でここまできました。
 母に多少なりとも 年金がなかったら、とうに姥捨て状態でしょう。
私と妹は、仲が良い悪いというより 姉妹という感覚がありません。実に淡々としており、友人に近い感じですか・・・でも姉妹に「大嫌い」と言われる母って何なんでしょう。私の理由は、はっきりしています。
 母は 実に明確に私と妹を差別して育てました。
妹は 少し知能指数が高く、華やかな顔立ちの美人でした。アパレル業界にいた頃は、道行く人が振り返ったそうです。妹は天才型で、私は努力型・顔立ちも凡庸だったのでしょう。性格も 妹は奔放で外交的、私は内向的でした。
 すべてにおいて、母は妹を比較の対象にして 私にコンプレックスをしっかり根づかせたのです。一度根付いたコンプレックスは、生涯私の性格に影響してゆきます。


 妹は 母を「俗物でバカ」と嫌悪しつつ、毎日ストレスを抱えながら介護しています。
認知機能もかなり低下してるとのこと。ずっと会っていない私の事など既に忘れているでしょう。
 でもね お母さん、あなたの預金も底をつき、「プー生活」で余裕もない妹に変わり 死後田舎の墓に入れる役目を担うのは、あなたが 散々馬鹿にして侮辱して育てた私なんですよ。