修羅場だらけの人生?ブログ

定職も持たず根無し草のように生きる両親の元に生まれ13歳で自殺を考え始め、16歳からストーカーされ、流れに逆らえず結婚。そして修羅場だらけの人生は本格化した・・・

結局ダウンして思う。

 京都・大阪と駆け巡る旅をしてきました。
かなり歩く事になるから、と覚悟をして体調管理してはいました。が・・
結局 3日目には、右下肢がパンパン腫れ歩くのがやっとの状態になり 翌日
地元に帰り着き、寿司屋に入り夕食を食べ帰宅すると 疲れが一気に出てきて
とうとう食べたものを 全部嘔吐してしまう始末になり二日寝込むことになってしまったのです。生カキも大トロの握りも、全て味わっただけとは勿体無い事です。
 「嘔吐」という症状は、何回か経験しているので それ程驚きませんでしたが、今回は
自分の下肢の衰えに ショックを受けました。自分よりずっと高齢の同居人が、歩き通して平気なのに 私は何という体たらくでしょう。
 
 私は仕事をしていた時 半月板損傷で手術を受けています。
手術そのものは、一般的で大したことではなかったのですが 復帰で失敗しました。
その頃 私は中堅病院で看護師長をしていました。学校を出てから僅かしか働かず、家庭に入ってしまい 家出離婚後、生活のため仕事復帰して 一から出直すにはかなりの努力が必要でした。
 それでも 偽名での「付添いさん」仕事から始まり、個人医院・少し大きい病院・そして引き抜かれる形で、中堅病院の管理職まで登りつめました。たまたま そこでケアマネージャーの資格を取得したため、師長とケアマネの二つを兼任することになり その事が、私を追い詰めていくことになったのです。
 今 ブラック企業とか騒がれていますが、私の職場は悲惨なものでした。「仕事がハードだから人が辞める。人を雇うが、仕事がハードだからまた辞めていく」の悪循環でした。常に人不足で烈悪な環境の中、私は 遅くまで残業し、家に帰ってはパソコンでのケアマネの書類作り、休み時間や休みの日には、認定の仕事で患者さまのお宅訪問・訪問看護までこなし、 誰かが突然当直に入れなくなれば 出先から戻って当直もしました。


 私は疲れきり 精神的におかしくなって行きました。。
そんな中 半月板損傷にいたり、私は正直ホットしました。「これで休める」と思いました。ところが それは許されないことだったのです。
 自分の病棟に入院した私は 予期せぬ更なる人手不足のため、車椅子で仕事に加わり ろくなリハビリをする余裕も与えられず、松葉杖での職場復帰を余儀なくされました。
 肢も精神も どんどん悪化してゆき、家に帰ると 座り込みさめざめ泣き、思っている事と行動が伴わなくなり 完全に崩壊してゆきました。
 結果 私は悲鳴を上げ院長に直談判し休職・そして退職となったのです。


「歩く」ことは大事です。
今回の旅行で 自分の弱点を思い知らされ、引きこもり状態で家にいる生活を改め下肢の強化に努め健康寿命を延ばそうと 少し前向きに思うのです。

おひとりさま・そして孤独死?!

 うんざりする三角関係を整理して かなり心が軽くなってきました。
これで 私の人間関係が一つ減りました。
社会性のない私は 人間関係を築くことが下手なので希薄です。それでも良いと思っています。人生の残りに、嫌いなことを無理してする という意義は感じません。
  
 私は「おひとりさま」必須です。
同居人は 親子といえるほど年齢の差があり、男性の平均寿命からいっても、いずれは行くべき所に言ってしまうでしょう。それに病床に付いたら私は関与できません。
 友人達を見回しても、みんな誰かと絆を持っています。
私には誰もいません。子供は 離婚してから 金の無心をしてきましたが、私が断った為
連絡を絶ち、何処で何をして生きているのかわかりません。
わかったところでどうしょうもないのです。彼は プライドが高く、働いてお金を得るという当たり前の事が出来ないので 共倒れになるだけですから。


 孫は 遠方だったので、生まれた時と4歳の時会っただけです。離婚後は母親が親権を取り、嫁は家付き娘で 向こうの家では、たった一人の孫なので大事に育てられるでしょう。
 おひとりさまで生きることは覚悟できています。
怖いのは 孤独死をして発見されない事です。死んでしまえば 何もわからないのだから
「死後の自分の姿」を考える事は意味がないのですが、腐敗し虫が湧き 骨化して異臭で発見されるのは避けがたいです。


 一年程前 マンションの私の下の部屋で、一人暮らしのおばさんが孤独死して数日後発見されました。詳しいことはわかりません。
 私が越してきてから 下の階のおばさんとは、天敵でした。引っ越しの片付けをしていた夜間、警察を呼ばれるという洗礼をうけました。それからは 毎日嫌がらせや侮辱する手紙がポストに入りました。部屋を訪れては苦情を言われ、 会えば罵倒され「メス豚」呼ばわりです。
 夜間に鋭い物で ドアに傷をつけられ、とうとう私も警察に訴えました。
その時の警察の対応には、がっかりでした。「下のおばさんがドアの前にいて傷つけた」との訴えに「でも 手元は見てないですよね?」と言われました。
 おばさんは、近所でもトラブルメーカーで有名だったようです。
そんな おばさんも後年には丸くなり、敵同士でも私達の間に情が湧いてきていました。
 おばさんが孤独死しているのを 気づいたのは息子夫婦だそうです。電話にでないので、不審に思い訪ねて来ての発見です。
 私がびっくりしたのは、おばさんの孤独死より「あのおばさんでさえ息子と連絡を取り合っていたんだ・・・」という事でした。


 安否確認してくれる息子がいるおばさんより、私の方がよほど孤独ではないですか?

ぎくしゃく三角関係を切る

 一人の友人がいました。いえ 今となっては、友人とも呼びたくありません。
彼女は 私の同居人の親しい知人と、愛人関係にありました。
つまり 私と彼女は「愛人同士」として出会ったのです。お酒の席で一緒になったり
何度か、カップル二組で旅行もしたことがあります。かなり長い付き合いでした。
 
 私達の関係が変わったのは、知人が癌を患った事がきっかけでした。
発見された時は 既に末期ステージで、余命は一年と宣告され入院したり、自宅での
闘病生活を余儀なくされ 今から一年半程前死去してしまいました。
 当然、隠し女であり愛人の彼女は、知人の闘病生活や入院や葬儀に関与する事ができません。
そこで 奥様とも交流のある同居人が中に入り、見舞いに行っては彼女に知人の状態を情報提供するという構図が出来上がっていったのです。
 同居人・彼女・私の三人は自然と行動を共にすることが多くなりました。
そして知人が亡くなってからも、傷心の彼女を慰めるという目的のもと三人の関係は、続いてゆくことになったのです。
私と同居人の間に すんなりと彼女というピースが入りこんだのです。彼女は 持ち前の人懐こさで「パパさん」と呼びかけ同居人の心に入り込みぎくしゃくした三角関係が出来上がりました。

 知人が亡くなって半年が過ぎた頃 旅行好きの同居人が彼女に「一緒に旅行に行こう」
と誘いました。酔うと 誰でも旅行に誘うのが同居人の癖です。でも誰も社交辞令の一つと軽く受け流し 実現したことは有りませんでした。
 ところが彼女は、二つ返事で喜んで誘いを受けたのです。
ここで私が、反論の意思など発せる状況ではありません。

 男一人・女二人で一部屋に寝るという旅行は 実行されました。
彼女は 部屋にパートナーの遺影を飾り、食事処にも遺影を置きました。話題は死去した知人の思い出話ばかりでした。二人は盛り上がっていましたが、私は不快でした。
 死者に鞭打つようで 悪いのですが、私は知人を様々な理由で嫌いだったのです。

 この遺影を伴ったあほらしい旅行は、二度繰り替えされました。
三度目の誘いは 勇気を出して私がすんでのところで彼女を制止しました。
そして四度目、私はキレました。
 二人で行った夜景の綺麗なホテルでの食事の時 同居人が「今度は彼女も連れてきたいな」といった言葉に怒りがこみ上げ声を荒げました。「どちらか一人にしたら?!」と。
 
 さすがに、同居人もギクッとしたようです。嫉妬と言われればそれまでです。でも私が彼女の立場だったら、カップルの旅行にノコノコついて行くことはありえません。遺影を飾るほどなら 旅行など行かず静かに喪に服していればよいのです。結局倫理感が全く違うのです。私を感情も意思もないペット扱いの身勝手な男が一番悪いのは分かっています。 プラトニックでも浮気には違いありません。

 彼女との自然消滅を望んだのですが、結局後味の悪い別離となり終わりました。
 そして 私と同居人の間の信頼関係にも歪みが生じてしまったのです。
愚かなことではありませんか。何故私には平坦な道がないのでしょうか?