修羅場だらけの人生?ブログ

定職も持たず根無し草のように生きる両親の元に生まれ13歳で自殺を考え始め、16歳からストーカーされ、流れに逆らえず結婚。そして修羅場だらけの人生は本格化した・・・

やはり修羅場はつづく。

前回ブログを書いた後、体調が低迷した日が続きました。


食欲を感じることができず、全身がなんとなくスッキリしませんでした。
 当然 食べるものはお粗末になりバナナ、飲むヨーグルト、豆腐と胃に優しい
ものを選択して食べていました。
動くのも億劫です。
 じゃ医者に行け ってことなのでしょうが、そこまで重態ではないことは自覚できましたので、とにかく「安静=寝ること」を選択しました。
幸い、現状の私には仕事もなく面倒を見なければいけない家族もいません。
同居人は、私を「面倒をみる」立場ですから・・・
 鬱々とした日を送っていました。
そして、9月30日に、どうしても友人と会わなければいけなくなり
約束を  できるだけ我が家に近いファミレスに指定して出かけました。
 毎日食事を節制していた私、誘惑に勝てずサラダとポテトフライを食べてしまったのです。弱った胃に油もの!!なんと愚かなことを。


 結果は夜半遅くにでました。
いつも睡眠薬を飲んで寝るため熟眠状態でしたが、その時起きた吐き気には生理的に
反応したようです。記憶は飛んでいるのですが、トイレに行き嘔吐していました。
 しかもその場で倒れてしまったのです。倒れた音にビックリした同居人が寝室から
とんできたようです。「気持ち悪い・・吐いた」と言ったらしい私を抱き起そうとしましたが、何しろ倒れて動けない人間はかなりの重さだったようです。
 同居人は必死で抱えて起こし、うがいをさせ、それからズルズルと寝室まで引きずって
いったそうです。そして一度床に転がし、やっとの思いでベットに横にしたそうです。
 それから同居人は、2時半まで、頭を冷やしたり また吐かないかと見守り
すうすう寝息を立てる私に安心し、やっと自分も眠りについたのだそうです。


 睡眠薬健忘というのは、怖いものです。
朝起きた私は「記憶にございません」でした。
 変な連想ですが、人を誤って(または故意に)殺したとき死人のあまりの重さ
に処置に困りバラバラに切り刻んでしまう行為というのがわかるような・・・
不謹慎ですね。


 なんだかんだで10日経ちました。
食欲も少しずつ取り戻しつつあります。
身体が健康になると心も健康になってゆくものですね。
 そして、自分の元夫の顔や住んでいた家の間取りさえ封印して忘れたのに
いじめ、ストーカー行為にあったこと、女問題で苦しんだこと、DVの地獄の日々
を詳細に綴ったところで、単なる恨み節なんじゃないか と思えるのです。



”病”のこと

昨日 ブログを立ち上げてしまった・・・微妙に後悔。
何故こんな事をしてしまったか?


そう、私は危機感を感じ 切迫していたのです。思えば昨日も異常事態の真っ只中
普通の精神状態ではなかったようです。


 私は十数年前から、うつ病と睡眠障害を患っております。
「うつ病になりやすい性格」という項目に多数当てはまる私、しかも修羅場だらけの人生
まあ なるべきしてなった病と自分で納得できるのです。一時は症状がひどく、一年間近く仕事をリタイヤしたほどで、まるで金平糖を食べるがごとく睡眠薬を多剤服用していた時期もありました。それでも近年は・・・仕事を辞め人間関係のストレスから解放された事もあるのか・・・うつ病は「軽うつ」という診断に代わり、眠剤は保険適用のきつい引き締めのお陰もあり大分減りましたし、診療内科のドクターとは世間話をしてくるくらいには回復してきています。
 そんな「軽うつ」の中でも 波はあり、妙にテンションが高い時があります。
暑さに弱く 汗かきで、「加齢による肌のバリア低下による湿疹」の私は 夏の間はまさに 冬眠ならず「夏眠」状態で家に閉じこもって過ごし、涼しくなってきた10日位前からテンションが上がり 行動的になっていたのです。
 幼馴染の友人との旅行、ウォーキング、一人ランチのはしご と動き回り暴食を重ねました。こういう時は危ないと知りつつ止められないのが人間ですよね?


 その結果は21日の午後から出始めました。午前中は 鼻の頭や頬や耳にできた痛い湿疹のため、かかりつけの皮膚科に行き 長い待ち時間を隣に座っていたおばさまと四方山話で過ごし、処方薬をもらい元気に帰ってきたのです。
 午後になり 寒くなったり暑くなり汗をかいたり繰り返し始め、風邪・・?と考え少量の葡萄を食べ風邪薬を飲んで様子をみていました。夕食の時間になっても症状は変わらず
、食欲不振だけど何か食べねば・・と思い アボガドを食べ水分補給をしました。しかし 状態は悪化する一方で、寒気が酷くなり何枚も服を重ねバスタオルを巻いても納まりません。そして遂に、吐き気が起こり 急ぎトイレに行き大量に嘔吐してしまいました。吐いても吐いても 吐き気は収まらず吐き続け、そこで見たものは なんと朝から食べたものが(たぶん前日のものも混じっていたかも)消化されず全部あったのです。
 吐いて 少しスッキリしたものの 寒気は続き眩暈がしてフラフラでした。
それでも 元医療従事者の私、救急車を呼ぶ勇気がないので 買い置きのエナジーゼリーと水分を取り、震える手で「延命拒否」と「遺言」を書き、入院の準備をして洗面器を枕元に電気毛布にくるまり横になりました。本当に死ぬと思いました。
 同居人はいるけど、所詮世間さまに公にできない内縁関係で入院の保証人位しかできない、一人息子は離婚して孫の親権を奪われ婚家を追い出され遂に行方不明、私の死後は一体どうしたらよいのでしょうか?


 こうしてウトウトと長い夜を過ごし、私は生きていました。
そして 無駄にアドレナリンが放出された混迷状態の中、なにかに追われるようにブログを書き始めたのでした。







私の名前って?!

60歳にも手が届きそうな今、おひとりさまの不安満載の私は、一年発起して自分の人生を振り返ってみようと思いたちました。人に過去の話をすると「小説になりそうな人生ね」と必ず言われる まさにジェツトコースターのような人生でした。いえこの場合過去形ではありませんね。まだ私の人生は現在進行形ですから・・・
 そもそも、親が選んでくれた名前が、占い師曰く「孤独運の持ち主」でした。そしてまさにその占いは良く当たり(デパートの片隅を仕切っていたインチキ臭いおばさん占い師だったのに)
 私は実に孤独なのです。信じるも信じないも単なる占い、なのに何故かそれはまさに的中してしまいました。
 私は じっと手のひらを見つめました。女の場合手相は右で見るんだっけ?いや左か
そもそも手相なんか見れないし、手相にも「孤独運」てあるんだっけ?
いや、名前そのものが運命を担っているのだからどうしょうもないじゃないか?


そして、皮肉にも私は住民届も出せず 偽名を使って何年か過ごすことになるのです。


世のお父様 お母様今は洒落た名前があふれておりますが、神社とかで字画など観ていただいて お子さまにつけているのでしょうか?名前は一生背負い、人生を左右するものです。私は父が適当に、いや選んでくれたのでしょうがつけてくれたものです。


 その後、父は初孫の私の息子にも 名前を付けてくれたのですが、ある偉人の名前を
付けてくれたつもりが 同音異句語を感違えして付けてしまい、初孫もまた運命に翻弄されることになってゆくのです。


 では、徐々に私「孤独運な名前の持ち主」の人生を振り返ってゆきたいと思います。