修羅場だらけの人生?ブログ

定職も持たず根無し草のように生きる両親の元に生まれ13歳で自殺を考え始め、16歳からストーカーされ、流れに逆らえず結婚。そして修羅場だらけの人生は本格化した・・・

低迷の日々

 しばらく 記事を書けませんでした。
もとより 非生産的な生活を送っており、テンションが高いとは言い難いですが
本当に落ち込むと、愚痴さえ書けなくなるのだなあ・・と自覚しました。
 
 昔から 私には自殺願望がありました。
13歳で自殺を考え始めたと はっきり記憶があるのですが、何故自殺したいと
思ったのか その理由が思いつきません。ただ毎日 遺書を書き綴っていましたが、実行することもなく過ぎていったようです。
既に、文学に傾倒していった時期で「自死」に 何とはなしに淡い憧憬を抱いていただけだったのかもしれません。


 間もなく 「いじめ」を受け始め、それは中学時代ずっと続き 多分辛かっただろうとは思うのですが、「いじめ」で 「死にたい」と考えた事はないと確信できます。
 今時 「いじめ」は世間的にメジャーになり、「いじめ防止対策推進法」もできましたが、私がその行為に晒されていた時代は 誰も無関心でした。
 私は 教師にも両親にも SOSを発することもなく、不登校になることもなく、ひたすら顔を上げて 自転車をこぎ登校し勉強し卒業しました。
 
 「いじめ」の発端は、誠に不条理で些細な事です。
この前 テレビを観ていてたまたま いじめにあった人が何人か話していましたが、その
始まりは「アトピー性皮膚炎」「ハーフに生まれた事」「国籍の差別」などなどでした。
 私の場合は、転校生であり言葉遣いが少し違った事でした。地元の人が「さいな~」と
言うところを「さようなら」と言ったことが発端となり、ボスを含め女子を敵にしたようです。多分 いじめる側にすれば、嫌い いじめる もっと大きな要因が私にあったのでしょう。


 話がそれましたが、自殺願望の強い私は「死にたい・死んでしまいたい」が口癖でした。それがある時 「死の恐怖」を味わったことで変わりました。
 何年か前 「パニック発作」に襲われました。それは、既に治療を受けて治まってからの診断名であり、実際の症状は 非常に酷いものでした。心臓にきたため、激しい動悸・呼吸困難・眩暈・震え・頭と下肢が引き裂かれる感覚・・・病院に運ばれ あらゆる検査を受け、最終的にはデパス2錠内服で解決という笑い話のようなお粗末な出来事でしたが、私には 正に「死の恐怖」だったのです。
 それ以来 簡単に「死にたい」を口にしなくなりました。人間「生きるのも大変だが、
死ぬことも大変」と悟ったと思いました。
 しかし です。
この頃 またその口癖を呟きたくなるのです。人生も下り坂、私には「明るく楽しい老後」のビジョンは全く見えないのです。
 金太郎飴のように、もう何処で切っても同じかな と思えるほど、うんざりする生活なのです。



睡眠薬依存

 今日は 12時まで寝ていました。つまりお昼に起きたということです。
いつも 10時過ぎ位まで寝ている私ですが、さすが12時はまずいです。
 朝のサプリメント・薬を飲む時間が、ずれてしまうし 一日3回の点眼薬もさせません。食事は基本2食なので 問題はないですが・・・
 なぜこんなに眠ってしまったのか?
それは 昨夜眠れなかった為、眠剤をどんどん追加していった結果です。
 
 私の睡眠薬服用履歴は長いです。すでに「うつ病」になりかかっていたのか、
ある夜、全く寝付くことができず 夜を過ごしました。
静寂・朝刊配達の足音・始発電車の動く音 眠れない夜は果てしなく長く、私に恐怖心を植え付けました。そこが始まりです。薬が増えてゆく過程はなんの依存症でも同じでしょう。
 人は良く言います。「2~3日眠れなくても何てことない。いずれは眠れるんだから」
多分、そういう人は健全で、不眠など味わった事が、ないのではないでしょうか。
不眠は 非常に残酷で恐ろしい精神的虐待です。
だから 睡眠薬依存になっても良いということではありません。私だって何度薬を抜こうと思ったことか。
 保険の締め付けと、仕事をしない生活のせいか 眠剤の減量は出来ましたが、依存は相変わらずです。毎日・定時に定量の薬を服用し眠りにつくのです。
 やはり「鬱病」を患っている友人の睡眠薬の量と薬効の強さは、私の比ではありません。でも そういう問題でもないんですよね。
 
 私は 空腹の方が薬の血中濃度が増し薬効が増すと固く信念をもっています。
だから、夕食も早く済ませてしまいます。
 昨日は外食をして、満腹状態でした。そこで「眠れないんじやないか?」という
強迫観念がうまれ、当然眠れなくなり もんもんと時間を過ごし眠剤追加という行為に
陥ってしまうのです。このイレギュラーな状態は旅行での不眠と同様です。


 眠りのため 食事時間を早め、自分を厳しく節制する。
愚かな事かもしれません。それほど 不眠に対する恐怖心が強いということです。

自傷行為

 自分の過去を振り返り、記事にしてゆくことは 心にとても辛く 痛く 重い作業だと思います。
 まさに 傷口に塩を塗り込むような、やっとできた瘡蓋をむしり取り また血を出すような行為です。自傷行為と何ら変わらず ではないでしょうか。


 いじめ・ストーカー行為・毎日激しくなるDV。
これらは、全て加害者がいて 被害者がいてこそ成立するものです。
と すると、これら全てを体験した私には、被害者たる要素が満たされていたのでしょうか?言い換えれば、被害者になるべくしてなった汚点・短所があったのではないかとさえ
疑いたくなってくるのです。
 
 子供の頃 私は爪を噛む癖がありました。ボロボロの爪を人前に晒すことが、恥かしく
思える時期まで続いたと思います。
 これも 自傷行為の一つということです。
だとすると、私の精神はかなり早い時期から病んでいたのでしょうか。


 次に 本格的に自傷行為に陥ったのは、退職する前の時期だったと思います。
既に、退職して5年以上になるのですから かなり良い歳をした大人が自傷行為をしていたことになりますね。
 その頃 私は職場の人間関係に、つくづく嫌気がさしていました。
女の職場は、酷いものでした。居ない人の悪口を言い、その人の前では また別の人の悪口を言いおだてる という方程式で、成り立っていました。もちろん 私の前で良いことを言っていたひとが、別の人たちと私の悪口を言っていたことは 想像できました。
 不信感に囚われ、人と会話することさえ怖くなりました。 親しかった同僚が、仲間から陥れられ 退職に至ったことは、私の退職をも後押ししました。


 その頃 私は多種・大量の睡眠薬に依存し、朝は 覚醒作用(医師の処方による)のある薬を飲んでは出勤するという退廃しきった生活を送っていました。
 そして いつの間にか自傷行為を行うようになっていったのです。さすが、腕、手首の
リストカットはしませんでした。目立つからです。偶然できた足裏のカサカサをむしり取っていったのです。むしり取った傷跡からは血がでました。痛かったけれど止めることができませんでした。
 化膿しないように薬を塗り、靴を履き 血は滲みましたが 痛みをこらえ出勤し働きました。
そして 帰ると、また自傷行為を繰り返したのです。


 なぜ止められたか・・・それは退職によるストレスの軽減と同居人のおかげだと思います。
私が無意識に足裏に手を持ってゆく毎に 注意を受けましたし、傷だらけの痕跡を見せるのが辛くなってきたからです。